馬瀬の名人 神戸 達雄

1988年7月31日、第一回ジムニーカップ決勝戦の下見でのことです。
私は、馬瀬川には通い詰めてはいたものの、アマゴ専門で、鮎釣りは一度もしたことがありませんでした。
そこで試合前日は、川を一通り見て回りました。そこで一人の名手に出会ったんです。
それが神戸さんでした。彼曰く「ここいらは良さそうに見えても釣れるのはあそこだけだよ」

そして運命の決勝戦の日、二時間三回勝負の合計釣果で争われることになりました。
入川順は毎回くじ引き。
そして私は、あろうことか不運にも、6人中、6番目、5番目、6番目という運のなさ。

手が切れるほど水が冷たい一回戦では、とても私に釣れそうな場所は残っていない。マイナスだけはしないように時間の経過を待ちました。結果は坊主。合計釣果で競うからこそできる我慢でした。
二回戦はなんとかトップタイで、三回戦に望みをつなぎました。

そして運命の三回戦。昨日下見をして神戸さんに様子を聞いた場所です。ところが入川順はまたも6番目。
一番いい場所は当然あいていません。しかたなく近くの釣れそうにない場所で、運を祈りました。
そこでは1時間で即死1匹のみ。すると、いちばんいい場所にいた小倉名人が下流に下ってきたんです。すぐに大喜びでそのポイントに移動すると、ちょうど時合いがきたのか面白いように掛かりだし、残りの1時間弱で、なんと13匹も掛けてしまったんです。

長良川予選、鬼怒川東日本セミ、そして馬瀬川決勝と、初めての大会で幸運を射止めることができた私は、これで車が二台となり、妻との車争奪戦に終止符を打つことができ、晴れて好き勝手に釣りに行ける身分になりました。神戸さん、ほんとうにありがとう。


そのときの人が、天野勝利師匠の友人である、馬瀬川最後の職漁師として有名な二村伍三郎名人(後列右)の 親友、神戸達雄(前列右)さんだったと、あとでわかりました。左は知り合った頃の写真です。