トップに戻る


SYSOP(システムオペレーター)の岡本です。
こだわりのエンジニアで川漁師に憧れています。

(2002/7/3大好きな九頭竜川で)

 昭和32年、群馬郡倉渕村に生まれる。幼少の頃から電気に興味を持ち、小・中学校時代はもっぱらラジオやテレビの中古を壊して、真空管や抵抗、コンデンサ類を収集し、ラジオなどを作っては壊しの生活に明け暮れる。
「うちは古物屋じゃない!」  これが幼少に一番叱られた言葉。…ちなみにいつしか古物商の免許を取得。三つ子の魂、百までも…とは、よく言ったものである。 

 16歳で東京蒲田の日本電子工学院3号館でアマチュア無線技士の国家試験を受け、無事合格して昭和47年無線局開局。コールサインはJG1SUK。
 その後上級アマチュア無線技士の国家試験にトライ。試験場は長野県の善光寺の近くで、電気通信術と学科試験を2日間にわたり受験する。善光寺の御利益か、一発で合格。念願のハイパワー局となった。

その後、地元有志と初級アマチュア無線の養成講習会をおこなう。このおかげで過疎地域倉渕村に近代コミュニケーションのツールが根付く。一番恩恵を受けたのは地元の猟友会だったという話もチラホラ…。
 
 これと前後して25歳の時、鮎の友釣りと出会う。修行場は地元の烏川には飽きたらず、翌年、当時の師匠に連れて行ってもらった信州千曲川で大鮎を掛けてからは信州通いがやみつきに…。
それからというもの職場の有志を中心に鮎釣りに燃える。

 ホームグランドであった長野県の千曲川は、当時、7月下旬から地元の組合員のみ許可される網漁があった。これに疑問を感じて友人と署名運動を行ない、漁協と交渉。その甲斐あって現在は友釣りに対してかなりの譲歩があり、網漁も9月頃まで延期された。

 その後も私の鮎釣りは毎年精進し、一時は千曲川の釣果報告でスポーツ新聞に名前が載るほどの日もあった。が、いつしか冷水病の影響で釣果激減。この頃から釣れる鮎を求めて遠征が始まった。

 お金と女に縁のない自分である。地方へいくと必然的にキャンプとなるが、そこで数々のアウトドアのノウハウを覚え(というか必要は発明の母であった)、私のアウトドアライフは、毎年アップして行った。
「そのぐらい熱心に鮎釣りをすれば腕が上がるのに…」これは釣友たちの言葉である。
 それらの体験から生まれたノウハウを是非HPにと、中部らりん会の事務局長若杉名人を始め釣友たちにリクエストを受け、ささやかながらここに体験から生まれたルールやツールを披露することにしました。よろしかったら参考にして頂ければ幸いです。